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2005年 06月 09日
何を隠そうイタの女房も娘も大のきむたくファンでドラマ「エンジン」を見ることが多く、そのたびに疎開した長野でのことを思い出します。私の小さいころ唯一の思い出の舞台は『風の丘ホーム』ならぬ『波田学院』で長野県は松本と上高地の真ん中あたりで、お風呂場の窓に乗鞍岳がいい姿で収まっているというロケーションでした。
先達て・・・5月22日、ついに64才になってしまいました。ジョン・レノンさんが存命でしたら同い年を(もちろん一方的に)祝いたいところでしたが・・・という状況を告白いたしましたが、今日は続編にお付き合いください。 波田学院は県立の児童養護施設で松本電鉄の波田駅からちょっとのぼった丘の上に点在していました。先生がお父さん、お母さんになり生徒たちと一緒に生活する施設で、私たち一家も生徒さんたちと一緒に暮らしました。 私の両親は東京の滝乃川学園での教員時代に知り合い結婚したので、疎開もかねて長野に赴任できたようです。池袋の家は疎開してすぐ爆撃に遭い、父は残してきた児童心理学関係の本が燃えてしまいとても残念だったようです。 父は終戦を迎えた翌年の2月11日に亡くなりました。唾液がでる耳下腺の化膿が原因でペニシリンがあったら簡単に治療でき、東京にいたら米軍ルートの「ヤミ」で手に入ったかも知れない、と後年母が話していました。残念ながら父との思いでは事務室でしょうか書斎のような感じの部屋で絵本を読んでもらった光景しか記憶にありません。 母はその後お父さん役も引き受け大奮闘でした。私のお祖父ちゃんの代からのクリスチャンでしたので母は生徒さんたちと賛美歌をよく歌っていました。エス、という名の犬を飼っており母はエス、エスッと呼びかけていました。母はキリストを「エス様」といっていましたのでこれはキリスト様も苦笑いでしたでしょう。 「エンジン」では解散しなければならなくて皆が最後の食事をしていましたが、長野での思い出にも忘れられないことがありました。生徒の一人が脱走してしまい母がその子の名前(彼は私たち兄弟をよく可愛がってくれ私はも今でも名前とか印象を覚えています)を呼びながら追いかけていき、木の陰に隠れていたその子が「お母さん~」と泣きながら飛び出してきた、ということがありました。 東京に舞い戻り小学校(尋常小学校ではありません)に入学、大田区の「馬込文学村」での人情と風流の長屋生活?につきましては機会がありましたらご紹介いたします。 筑摩野で母呼ぶ声に振り向けば走る影あり唐松林 では、また来週お目にかかります。 ※リサイクル・ベンチャー「資産売却課」ネットオークション
by itabashi_1
| 2005-06-09 19:00
| 世の中・日常
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